◇文化と歴史◇
日本に最初に伝えられたのは?
栄西禅師
喫茶養生記
庶民へのお茶の普及
日本に最初に伝えられたのは?
 日本に最初にお茶が伝えられたのは805年頃といわれています。
 禅宗の修行のために中国の唐に渡っていた天台宗の開祖・最澄らがお茶の不思議な効能を体験し、その種子を日本に持ち帰ったのが始まりでした。
 当時の中国でお茶は不老長寿の妙薬と信じられ、禁欲の仏法修行に耐えなければならない僧侶は、眠気覚ましや、疲労回復の薬として珍重していたのです。
 奈良時代から平安時代初期にかけて日本では、お茶は特権階級の人の間で飲まれ、庶民は口にすることはありませんでした。当時のお茶は団茶と呼ばれ、火であぶった茶葉を臼でついて団子状にし、それを粉末にして湯の中にいれ、生姜や甘葛で味付けをして飲んでいました。
 894年遣唐使が廃止され、中国文化への憧憬が薄れると日本人のお茶に対する興味は減退してしまいます。
 以後300年間、日本における喫茶習慣はほとんど文献に現れていません。
栄西禅師
 お茶が再び日本に伝えられるのは鎌倉時代です。
 臨済宗の開祖・栄西禅師が中国の宗からお茶の種子を持ち帰り、佐賀に植えたことがきっかけでした。
 当時喫茶習慣は天皇や貴族だけでなく、禅宗と結びついた武家階級の人にも広まっていきました。
 やがて栄西禅師から茶種を譲り受けた京都の高僧・明恵上人は、全国各地で茶の木を育て本格的な茶の栽培を根付かせます。
 この時明恵上人が選んだ土地、武蔵河越、駿河清美、伊勢河合、伊賀八鳥(服部)、大和室生(室尾)は後に「銘園五場」と呼ばれ、今日著名な茶産地の源となっています。
 
喫茶養生記
 「お茶は養生の仙薬なり。延齢の妙技なり。」
これは栄西禅師が著した日本初の茶書「喫茶養生記」の序文です。栄西禅師はこの書の中で五臓六腑の薬としてお茶の効能を強調し、不老長寿の秘薬と紹介しました。
 茶を健康効能の面から説き起こし、一方では「茶生じればその地神聖なり」ともしていて、喫茶を全面的にとらえようとする姿勢が明らかで、その為日本最初の茶書とされ、また栄西自身も茶粗と称されるようになりました。
 それにしても、ごく最近立証され始めた茶の効能が約800年前にすでに明文化されているのに驚かされますね。
庶民へのお茶の普及
 仏教と深いかかわりを持ち、薬としての、効能ばかりに注目されたお茶ですが、室町時代末期になると徐々に、町人階級が一服一銭の掛茶屋で楽しむまでに普及します。
 さらに桃山時代に千利休が「茶の湯」という新しい喫茶文化を大成すると、茶の湯は武家階級への反骨精神とあいまって俊の町人階級によって栄華を極めていきます。
 江戸時代中期には煎茶として休息に庶民の生活に溶け込み、徳川4代将軍の頃になってようやく、茶葉にお湯を注いでそのお湯だけを飲む現在の喫茶法がみられるようになります。
参考資料: 「緑茶の辞典」 社団法人 日本茶業中央会
「お茶アラカルト」 中村 公一


豆知識へ戻る TOPへ